この名前。すぐに判るひとはよほどの通かマニアか、若いひとなのだろう。若いネェーちゃんの固体識別ができなくなって久しいおやじは全く別世界。
−−−人が一人も死なない青春エンターテインメント「武士道シックスティーン」のダブルヒロインが二人の名前なのである。剣道一直線の香織。そしてその好敵手、日舞の方が得意な早苗。この二人を軸に展開する、恋も愛もエッチもない、日向くさく汗臭く、感動と涙とペーソスと幸せに満ち満ちた物語。語り部は誉田哲也。若い人に人気の売れっ子作家なのだという。
だいたいが「草木も眠る丑三つ時」にふっと目覚めてしまい、ベッドの片隅においておいたこの本が妙に光るので手にとって読み始めたら、会社に行く時間になっていたというしろもの。図書館で借りたときも妙に光っていたのだったが。そして、何故か、娘か孫のような世代のネェーちゃんの話にのめり込んじまった(^^;;)。
その続編が「武士道セブンティーン」。1年後の二人の対戦の話なのである。知るひとぞ知る「エス」の匂いを漂わせながら、明るくまっすぐな武士道一筋の物語。70年代の「石垣直角」を彷彿とさせる。氏の他の小説の如く暗黒と一筋の燭光、悪と善、死と生、混沌と秩序、嫌悪感と爽涼感が交互に繰り返されるのではなく、光だけ、善だけ、生だけ、秩序だけ、爽涼感だけを抽出すると、さわやかで気持ちよく安心して読める大変いいお話になる、という証左である。
しかし、よくよく考えてみれば、赤いちゃんちゃんこ間近のおやじが、こんな話にのめりこむ、というのは極めて不自然。絶対に不可能なことのはずなのだが。と、疑問を呈してよくよく熟考してみれば、そう、そうなんである。彼女たちは、いま、自分の知っている10代の女の子たちとは全く違うのだということに気付く。実際よりもピュアで素直で真っ白、なんだな。
実は、この手のノリは、知り合いのアラウンドフォーティーの独り身の姐さんたちそのもののノリなんだわ。なんどか、そんなノリの暴風の中で翻弄された経験あり(^、^*)。実は、作者も同じ世代。アラフォーの世代が、自分たちの言葉で10代を語るとこんなふうになるのだろう。まあ、アラフォーならば、このおやじ。理解できないこともない。もっともおやじが10代を語ると小百合さんになってしまうのだろうが。
もしかしたら「武士道エイティーン」とか「武士道成人式」なんて続編があるかも知れない等と心待ちしているおやじである。
女性ロッカー柏木夏美の物語にたどり着けなかったことがいささか心残り。それはいずれ、またの機会に。
誉田哲也「武士道セブンティーン」(文藝春秋 2008)
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