1967 Spring, fifteen
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突然の便り
   封筒からこぼれ落ちた1枚の写真。なにげなく手にとってみる。少し セピア色に変色した古い写真のよう。妙に気にかかるのは何故だろう。
   中央には 大きな石の上に若い男女。小春日和の柔らかな日差し。幾分はにかみながらも、二人から溢れ出る笑み。幸せ、という言葉を疑いもなく信じているに違いない。なに??この写真??と思ったのだったが。
   そして、そのあと。一瞬、背筋がぞくぞくした、といったら大げさすぎるだろうか。こっ、これは、あの...。
記憶の奔流に
   昨年夏、中学の同級生からの手紙。写真が1枚同封されていた。 「同窓会の文集を編集していたら、ある友人からこんなものが届けられてきました。」、という文と共に。何故こんなものが、という気持ちでその写真を手にしたのだったが。
 甦る風景
 しかし、すっと胸にしみこんでくるような二人。デジャヴィ。すっかり忘れてしまっていたのだが、あっという間にフラッシュバックのような記憶の奔流に翻弄される。
 この場所こそ...。そう、この場所こそいまだに夢見るあの「学校」なのだ。そして、写っているのはまぎれもなく自分に違いない。 そしてね、となりの少女は、誰あろう、学校中の男子生徒のマドンナ。同級生の...。
あの頃って
   1967年3月、中学校の卒業式の日。
 船木一夫の高校3年生」を「中学3年生」に変えて歌っていた頃。東京オリンピックを開催して戦後日本がようやく世界に復帰した時代。ビートルズに狂気したやつらがいた反面、こんなもんうるさいだけだ、と信じていたぼくがいた頃。
   定かでないが、おそらく卒業式という日にあこがれの美少女をつかまえ、「記念だよ」などと言って悪ガキどもが代わる代わるツーショット写真を撮りあったのではなかったろうか。 まだ白黒写真があたりまえだった時代。
   卒業という晴れやかな日。ぼくの将来になんの危惧もない頃。未来を疑いもなく信じていた頃。おみくじをひけば全部大吉だと疑いもしなかったニキビ面のガキと不釣り合いな美少女。
 でも、時代が流れても、いい歳したおやじになっても何故か胸が騒ぐものですなあ。胸がドキドキする、ってのは若い証拠なんでしょうかね。 
夢の中
  ときどき夢をみる。二階建ての校舎がふたつ並んでいて渡り廊下でつながっている。校舎の間は庭園風の中庭。南側の校舎の1階は1年で2階は2年。3年になると北側の校舎.。校舎の南側には体育館とテニスコート...。
   この夢の中の学校がどこであったか、まったく見当もつかなかった。しかし、写真の中は、夢の中と寸部違わぬ学校。そう、ぼくのみる学校の夢は全部この記憶だったのだ。
私だけのお宝
   この写真。結局、文集には掲載されなかった。あまりに個人的に過ぎたのだろう。
   ぼくに届けられた写真は同級生にお返しし本来の持ち主(マドンナの親友だという)のアルバムに戻った。
   だがその写真のコピーは「ぼくのお宝」としてパソコンの奥深くに鎮座している。そう。甘く酸っぱく、決して手の届かない、ぼくの15歳の春の思い出と共に。
しかし何故
 この写真を撮ったのは悪友のマコトのはず。あの頃、最新の(いまでいう「バカチョン」)カメラをもっていたのはあいつぐらいしかいなかったんだもの。しかし何故、こんな写真がいまごろ出てきたのだろう。皆で替わる代わる撮ったであろうツーショットなのに、何故ぼくのものだけ。彼女との運命を感じる...と勝手に思ったりしてね。
秘密、でも時効だな
   高校よりも大学よりも妙に鮮明に甦る記憶。ニキビ面、勉強、柔道、先生、両親、旅行等々。そして恋多き15歳。
   恋はいつだって理由なく始まるし、恋するのに理由なんていらない。だから沢山の恋が。初恋の、あこがれの、下級生の、気になる、と形容詞を並べたとき、これらの言葉に続く固有名詞は全部違った名前が浮かんでくる。突然の写真で呼び覚まされたほろ苦い記憶。
   なぜ苦いかって?それはね。結実しない恋っていうのはやはり苦いもの、ということ。いくつになっても苦いものは苦いもの、なのだ。
 で、もう時効だから言ってしまうわけではないのだけれど、実はね、あの頃、気になる彼女は他の女の子だったのだわ、と言ってしまうぼく。昔も今も、「皆のマドンナ」はぼくには荷が勝ちすぎているようで。
 でも、ちょっとハートがキュン。 
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【data】 2003.04上梓、2004.03改稿して本サイトに移行
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