刻の流れ探訪
八王子追分の石の道標
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追分交差点の歩道橋の下にひっそりとたたずむ道標(江戸時代のもの)
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クリックすると拡大画像表示 八王子の旧市街を東西に貫く甲州街道を西へ
追分交差点で左は「甲州道中高尾山道」(甲州街道)、右は「あんげ道」(陣馬街道)
鳥羽伏見の戦いに破れた近藤勇以下の新撰組の面々が
甲陽鎮撫隊を名乗り再起を期して甲府に向かったとき
この道標をみて左に道をとったはずだ
もっともその新撰組の面々、地元多摩で大歓迎されて大宴会(?)
出発が遅れて官軍に先を越され甲府にたどり付けず
勝沼あたりで戦ってあっというまに逃げ帰ったのはあまりに有名
次は彼らが豪遊したであろう八王子の旧遊廓街を調査します(^^;)ゞ
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追分交差点にある江戸時代の道標  DATA
■ローカルな「歴史」がまだまだあちこちに残っています。
 久々に「市教育委員会」なんて文字をみてしまいました。何故かドキっとするのは「過去」のあるせいでしょうか。
 この道標については最近知ったばかりで「まつわる話」もさっぱりなくて申し訳ないのですが、道標の説明パネルにある「空襲」のことを少し。
 八王子の旧市内は太平洋戦争のこの米軍の空襲でほぼ全滅。郷土資料館などで当時の写真をみると、ほんとに何もかも残らず焼けてしまっています。一面焼け野原。近くの第二小学校で語り継がれる「焼けたいちょうの木が生き返った話」。「このあたりを50センチも掘ると赤いレンガの層が出てくるだが、これは空襲で焼け崩れた赤煉瓦の壁や倉庫(織物の?)の残骸」というおじいちゃんの話などなど。まだ、歴史というには生々しい痕跡が残っているものですね。

■上記の写真は2004年2月
■リンク
西八王子近辺の名所旧跡(高尾通信)
     

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